20251231 2025年

 

2025年を振り返ると、6月から12月まであまりにも濃いというか激動の日々だったので、5月までの記憶がぼんやりしている。カメラロールを見たら、結構楽しそうに過ごしていて笑ってしまった。ものすごく遠い過去のような気持ち。

 

6月以降は本当に色んなことがあったので、ただただ必死だった。たくさん泣いた。支えになってくれた友人に感謝している。ありがとう。

気づいたことが多すぎて、咀嚼するのに時間がかかった。

 

2024年はターニングポイントになった1年だったけど、2025年を一言で言うなら「分岐点」だ。言葉としてはターニングポイントも分岐点も似ているけれど、全然違う。

2024年は色んな偶然や周りの人のおかげで、良い方向に向かっていった年だった。スピリチュアルっぽいけど、幸運を周りの人が運んできてくれたイメージ。でも、今年は大きなことを自分で決めて今に至っている。もちろん流れに身を任せた部分もあるけど、自分の中では結構違う。

 

忙しなく日々を過ごしていたから、年末はゆっくりしようと思っていたんだけど、DIYやら整理整頓やら掃除やらしていたら大晦日になった。これはこれで悪くない。やりたいことがたくさんあるのは良いことだ。

 

明日から新しい年ですね。

これまでのことに、そっと小さく手を振ります。ありがとう。

このブログはこの記事でおしまいにしようと思います。

これまで読んでくれてありがとうございました。

20250820 希望

希望を抱いて前に住んでいたところを飛び出して、今住んでいる地域にやってきた。

のし上がってやりたい気持ちと、まあ多分ダメだろうなあみたいな諦観の両方をスーツケースと共に携えていた。

5〜6年くらい前の話である。希望を叶えたら今住んでいる地域からは出て行って東京に行こうとぼんやり考えていた。希望は叶わなかったし、今も住み続けている。

 

最近は希望を抱くことすらできなくなって、何のために生きているんだろうと考えることが多い。気持ちが落ち込むだけで、特に何の答えも出ない。人生に意味なんてないけど、できるだけ楽しい思い出でいっぱいにしたほうがいいことだけはわかる。

このままだと消化試合として残りの人生を過ごしそうですごく怖い。というか、人生自体がめちゃくちゃ怖い。これからどうなっちゃうんだろう、みたいな。

 

先行きがわからなくて不安なのは高校の頃から。義務教育まではレールの上を進めばよかったけれど、無限の選択肢を提示されていつもどれを選べばいいのかわからずに佇んでしまう。現状維持は後退なり、とはよく言ったもので、選択した者はその道に邁進してどんどん先へ進んでいく。私はただ見送るばかりで不安に押しつぶされてどうしようもなくなっていく。もう同級生の姿なんてはてしなく遠く見えなくなった。

 

8月末までに大きな選択をしなくてはならなくて、間違いなく大きな分岐点で、どれを選んでも自分を幸せにするしかないのに足がすくんでしまう。助けてくれ。天は自ら助くる者を助く、らしいけど甚だ疑問である。幸せの教科書をください。

 

20250621 最近

 

最近考えていることについて書きます。

 

最近は人生に対するモチベが低下している。

これまではやりたいことがアホみたいに出てきたのに、最近は何かをやりたい気持ちがないです。良くも悪くも分を知ってしまったので、安牌を選ぼうとしている。安牌を選択できる現実的な思考を身につけられた、ともとれる。悪いことではないはずなんだけど、想定の範囲内のことしか起きなくなるのでつまらんですね!!!

「分を知ってしまった」には限界を知っただけではなく、できることがわかったのも含まれる。逆に言うと、「これくらいはできるやろ」と取り組む対象をほんのりと舐めているところもある。舐めていると大概のことはうまくいかないので、またモチベが下がる。アホか?

やりたいことがなくて、やれそうなことを選んでいるからモチベが湧かないんですね。いや、そもそも人生にモチベを持ち出すな。やるべきことをやれ、と一喝されそうですね。その通り。解決。

 

話題を変えます。

大学の時に教授が講義で「30歳になると残りの自分の人生がどんな感じになるか大方予想がつく」みたいなことを言っていた。当時はそんな予想つくなんて嫌だ、程度に思っていた。アラサーになりましたが、残りの人生のことなんて全くわかりません。予想できた方が幸せなのか否か。死ぬまでわからんよな。教授、嘘つかないで。

 

また話題を変えます。

自分と同い年の作家の方が注目されていて、ついに同い年の作家の本を読める時が来たよ〜〜〜と震えている。ちょびっと読んだけど面白かった。買いたい。これからは歳の近い人の作品を読めるわけで、大人になったよね。同い年だから同じ時代の空気を吸って生きてきている。共感することも多ければ、逆に差異に驚くことも多いんだろう。30歳より前に作家になれるのかっこよすぎる。応援します。私も愉快な文章を書けるようになりたいな。

 

おしまい。

 

 

20250520 買い物

 

10年以上使ったスーツケースのキャスター(タイヤ)が壊れた。ゴムの部分が取れて、動かすとガコガコと音を立てるようになってしまった。修理できないかと調べてみたが、自力では難しそうだったので諦めた。諸事情で買い替えたいとは思っていたものの、いざ壊れると寂しいものである。何せ長いこと使っていたわけだから。新しいスーツケースを買うために、お店に行ったりYouTubeでどのスーツケースが長持ちするか調べたりしながら、文字通り1日中悩んでAmazonで新しいものを購入した。割引してもらったうえにかなりポイントもつけてくれたので我ながら良い買い物だったと思う。ありがとうAmazon

スーツケースに関しては飽きたとか、なんとなくとかで買ったわけではなく、壊れてしまったから買ったわけで、これはかなり私にとって重要な経験である。そもそも値段が高いし、頻繁に使う物ではないから買い替えにくいのもあったけど、最後まで使うのは大切だと最近感じているので。

 

私はお金がないくせに物を買うのが好きだ。物を買う時の高揚感が好きなんだと思う。多分何らかの物質が脳から出るんでしょうね。服や本なんかが代表的な物で気づいたら増えている。最近は節制している(つもりではある)が、長年染みついた行動はそう簡単に治らない。ミニマリストに憧れてはいるけれど、心配性なのも相まってある程度物がある方が安心する。

不安な時や充実していない時に買い物したくなることに最近気づいた。私である以上、生きてたら多分ずっと不安なのでそれは受け入れるしかないとして、充実感はある程度努力で何とかできるのでそこは補っていきたい。例えば、人に会うとか、読書するとか、文章を書くとか。逆にSNSを見て浪費する時間を減らしたりとか。そういうのの積み重ねで人生ができていくので。話が大きくなってしまった。

 

物持ちがいい人がすごく好き。ある友人が一緒に買いに行った服を穴が開くまで着たと言ってくれた時は痺れた。最高じゃん。私もそうなりたいが、多分無理なので指標を持つことにした。好きなブロガーさんの記事に「買った服は30回は着よう」とあり、なるほどと思った。それと、SNSで流行っているらしい12着チャレンジ。年に買う服を12着までにしようというものらしく、記録していくとちょこちょこ買っていることが判明し泣きそうになった。散財!!!!

 

自分なりに工夫して物を大切にしていきたいと思う今日この頃。買い物とうまく付き合えるようになりたい。

いつも唐突に終わる私のブログは、人生での詰めの甘さが露呈しているようで少し恥ずかしい。

以上です。

 

 

 

20250426 今日

今日は朝から充実していたので、日記を書こうと思います。

 

 

朝風呂を浴びて、11時くらいにマルちゃん製麺を食べた。たまに食べるマルちゃん製麺はおいしい。しょうゆ味がお気に入りで、近所のスーパーで安売りしているときに買う。安くてうまくてありがたいな、と思いながら食べている。わかめ、にら、白ネギ、味玉をトッピングした。

 

そのあとは読書。カフェオレと無印良品の不揃いバウムをお供に。私は口の中の水分が全部持っていかれるようなお菓子が好きだ。マドレーヌ、フィナンシェ、ドーナツなど。バウムクーヘンは高級なイメージがあるので敬遠していたが、学生の頃にCDを友人に貸したら、無印良品の不揃いバウムをお礼にとくれて、それ以来ほんのりと好きである。淡い恋みたいな気持ちで不揃いバウムが好き。どこら辺が不揃いなのかよくわからないところも好き。見るとウキウキしてしまう。不思議な魅力の不揃いバウム。

ちなみに読んでいた本は片桐はいりさんの書かれた『わたしのマトカ』。映画・『かもめ食堂』の撮影のためにフィンランドで過ごした日々について書かれている。まだ読み終わっていないけれど、読み終わるのが惜しい。片桐さんの他の著書も読みたいと思った。たまに見え隠れする毒っけのある部分とか、知らない世界をたくさん知っていらっしゃるところとか。

 

読書後は、ショッピングへ。ユニクロが安売りしていたのでリネンとコットンでできたショートパンツと、散歩用のパーカーを購入した。4月の上旬はダウンを着るほど寒かったのに、最近は半そででも過ごせそうな日があって、夏物を急ごしらえ。最近の夏は子供のころのようなものではない。涼しさをどこかしらに感じられるような優しさはなく、肌が痛くなるような暑さなので、大量に汗をかく。ちょっと外に出ただけで汗がだくだくになるので、着替えまくる。よって、他のシーズンよりも服が必要、と言い訳して夏服を手にしている。リネンとコットンでできたショートパンツはそれ用に買った。加えて、体型が去年の夏よりもまるくなったので手持ちの着られる服が減ってしまったのである。散歩してダイエットしなくては、という目論見でパーカーは私のもとにやってきました。夏までに間に合うかな。夏、たぶんすぐそこにいる。

その足で、無印良品でメイクボックスを買いに行った。メイクボックスと名付けられているが、化粧品以外の収納にも長けている代物だ。洗面台の下の収納スペースがあまりにもごちゃついていたので、整理しようと思い購入した。

帰宅後、すぐに整理整頓出来て非常に良かった。整理していて気付いたけれど、ほとんどがストックで、あんまりストックしないほうが、身のまわりは片付くよな、と思うなど。

 

その後は、また読書してのんびりして、ちょっと野球中継をみて。みたいな。

 

そんな感じ。

我ながら理想的な休日を過ごせていてとても良かった。やらなくてはいけないことではなく、やりたいことだけやる休日をたまに作って、リラックスできるようにしていきたい。と言いつつ、明日大切な用事があるのでこれからそれに向けて準備する。頑張ろう。

 

 

 

 

20250414 時間

 

時間がない。嘘です。

時間はある。でも時間がないような気持ちになる。目標に到達するまでにはやらなくてはならないことがたくさんあるから焦ってしまう。時間はあるのにないような気がしてしまう。

本当に忙しくて時間がない人も大勢いると思いますが、こと私に関しては気持ちの問題です。

 

ないようであるやん、時間。

なぜこんなに時間がないような気がしてしまうのか。最速でゴールに辿り着こうとしているからですね。なぜ最速でゴールに辿り着きたいのか。面倒くさいからですね。

面倒くさいって最悪の感情だよな〜〜〜。時間を破壊していく。あったはずの時間が面倒くさい感情だけでどんどん溶けていく。

 

それで私が流れ着いたのが、タイパとか効率重視の考え方だったんですが、それなりに時間あるのにそこらへんを追い求めても意味ないと思った。余計に面倒になる上に、心が痩せていくというか。結局は最速でゴールなんてできないし。

空いた時間でYouTubeSNS見るくらいなら気にせずに時間かけたほうがよくね!?!?特に料理とか。節約した10分をダラダラするために使うならちょっと手の込んだ料理作ったほうが幸福かもしれないと気づいた。

最近日記を書くのをサボっているのですが、なぜ書かないかというと、実用的なゴールに辿り着かない気がしたからです。自分の日記の文章に飽きたのもあるけれど、何の役にも立たないな…と思うと書く気が失せるようになった。よくないですね。何の役にも立たないけれど、わたしの愉快な時間が失われている。

生み出せ、愉快な時間。

 

タイパを意識して行動するのをやめたいな〜と思うようになった話でした。私の場合は最速でゴールなんて邪なこと考えると、あまりいい結果にならないなと。以上です。

20250402 桜

こんなに寒い、春とされる時期は生まれてこの方初めてかもしれない。それなのに桜は咲いていて、暖かくなったから咲くのではなく、4月だから咲いているのか、と不思議に思う。開花のメカニズムがよくわからない。

この間、桜を観るために隣の県まで行った。そこには桜並木があった。私は桜並木が綺麗な地域で育ったので、お花見はブルーシートを敷いて桜の下で宴会をやるよりも桜並木を眺めながら歩く方が馴染みがある。地元以外で桜並木を見るのは初めてだった。桜並木には良くも悪くも思い出が詰まっているため、昔のことを思い出した。

 

これまでの春で1番印象に残っている春は、中学から高校に上がる春かもしれない。あの日々はボーナスタイムみたいな時間だった。ただ楽しめばいい、それだけ。自転車を漕いで行ったイオンでプリクラを撮ったり、初めて買ってもらったスマホで友達とやり取りしたり。新しい環境に自動的に切り替わるわけで、それまでのしがらみがなくなってなんとも自由な気持ちだった。

そういえば当時は桜なんて見て何が楽しいのかと思っていた。最近はお花見がしたくてたまらなくて、これは感性が老いたのか成熟したのかどちらなんだろう。その頃は楽しいことなんてそこらへんに降って湧くようにあったから、わざわざ自分から花見のように楽しみを作ることをしなくて良かったのかもしれない。

振り返ってみると、桜を始めて綺麗だと思ったのは大学を卒業した時の春だ。就職もせず、多くの同級生とは違う選択をしたが故に、ぽーんとひとり投げ出された気持ちになった、あの宙ぶらりんの春。サークルの後輩と見た桜は美しかった。美しいと思わざるを得なかったのかもしれない。とっくに成人していたけれど、なんだかあの時大人になった気がする。周りがぐるぐる変わっていったのに桜は変わらず毎年咲いてくれて心強かったのかも、と綺麗にまとめて終わりにします。